20年前・・・その2

昨日の続きです。


二つ目の体験合宿をした高校の話です。
こちらも不登校でも受け入れる高校でした。
非行と不登校の割合は半々だったと思います。


愛知県の山の中で、景色は良くて、当時は鹿も校舎の回りを走っている環境です。
制服もなくて、時間もスローに感じる環境で自由なイメージでした。


合宿に来ている生徒も普段は引きこもって日に当たらず、もやっしっ子というイメージの生徒と、すでに茶髪&ピアスでやんちゃなイメージの子。


この学校もやはり親と子が別々に合宿を行います。
全国から来ている親とグループミーティングをする中、親の願いは皆同じですね。


「どうか高校は卒業させてやりたい」
「普通の高校生活をさせてやりたい」
「友達を作って欲しい」
「勉強をしてほしい」


親の願いはあくまでも親の願いであり、その当時の子供達は本当に親と同じ願いだったのでしょうか?
我が家の場合は息子に本当は今後どうしたいのか?と真剣に話し合った記憶がありません。
親が先行きの心配をして、世間体を気にし、せめて高校だけは!と一方的に話を進めてしまったような気がします。
勿論、その時は「なんとかせねば」という親のエゴで動いていましたから本人の意思とか思いは聞く耳持たずでしたね。
きっと息子は親のエゴでコントロールされていることには気が付いていたと思います。


最終的にはコチラの高校を選んで、容ばかりの入試試験をうけて無事合格となり入学しました。


入学式当日、盛大に行われました。
この日から全寮制なので子どもたちは学校での生活が始まります。
親は年に数回の学校行事には参加しますが、日々は学校が衣食住と勉強を面倒見てくれます。
後ろ髪を引かれる思いと、これからは学校にお任せ出来るという安堵感もありました。
スクールバスに乗って最寄の駅まで親は帰りますが、すでに数名の生徒が一緒に乗っていました。


???どうしたの???
生徒は今日から学校では???


?だらけでした。


聞いてみると、すでに学校になじめず子供が親と一緒に家に帰りたいというので帰るそうです。
でも、親は嫌な顔一つせず、叱るわけでもなく。
「一緒に帰ろうね~」と言っていました。
その当時私はその親の気持ちや行動が理解できませんでしたが、きちんと子供の事を理解していて、焦ることなく受け止めての行動だったのでしょう。
その後もこの親子はじっくりと子供のペースで高校生活をおくることとなりました。


その当時の私は離婚、再婚、家のローン、仕事掛け持ち、親との確執。。。そして息子の問題。


常に色々な問題を抱えて人生で一番大変な時期だと思っていました。
つまりは自分がいつも大変!という大変病みたいなもので、解決の糸口とかをじっくり考えることも出来ず、その方法もわからず自分の人生はいつも辛いものだと思い込んでいたのかも知れません。
そして、大変な問題をまわりの人間のせいにするとこで自分自身が生き延びてこられたのかも?
と思うこの頃です。

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