20年前・・・その1

息子は中学3年から不登校になり、高校進学は親の願いでもありました。
中学を2年しか行けなかった状況で、地元の普通高校進学は無理でした。
就職という選択肢もありましたが、進学指導の先生の提案で不登校専門で受け入れる高校進学を選びました。


今振り返れば息子は高校進学を望んでいたのかはわかりませんし、真剣に何度も親子で話し合う状況でもなかったように思います。
むしろ腫れ物にさわるように、穏便に高校へ進学すれば今後は何とかなると思っていたのかも知れません。


その当時、不登校でも受け入れる高校は全国でも数校でした。
関西方面の二校を体験入学合宿希望を出し、親子で参加しました。


その一つの高校では、親子別々に2泊で合宿し、私は知らない親たちと共に講習を受けたり、夜は分かち合いです。


キーワードは
窃盗、暴力、家出、逮捕、少年刑務所、アルコール、シンナー、マリファナ、覚醒剤。。。。


全国から参加した親子は、大勢いました。


警察沙汰問題を抱える人が大半を占めていました。
その他はいじめ等で引きこもり不登校です。
我が家の場合は後者でしたが、親の分かち合いでの会話についていけませんでした。
その私がまさか今では当たり前のように薬物関連を発信しているとは想定できませんでした。
しかし、私自身が認めたくなかったのか?気が付かなかったのか?????
すでに問題が始まっていたと思います。


「ここの学校は厳しくて辛いけれど、何が何でも入学して改心してもらわないと!」
「この先一緒に暮らしていても、問題ばかり起こすので家族が辛い!」
「このまま問題行動を続けると、成人して刑務所に入ることになってしまう!」


深夜遅くまで家族同士のミーティングは二夜連続で行われました。


「我が家はこの人たちとは違う」
「ここまでひどくない」


そう思いましたね。
今思えば、この人たちはすでに親の底つきに気づき、尻拭いばかりしてきた共依存から脱出して、突きはなし!をしようとしていたような気がします。


我が家の原点はここから始まっています。


認めること。とても大事なことだと思います。

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