一喜一憂

昨日のビリーブ静岡家族会でも「一喜一憂」という言葉が使われました。


皆さんの近況報告をお聞きすると、本人も勿論ですが家族も感情や行動に日々浮き沈みがあります。


同居家族となると更に時間刻みでお互いの行動が気になり口論になったり話し合いが平行線になったりします。


お互いに
回復したい!
回復してもらいたい!


願う気持ちは同じ方向でも、回復に向かう作業や工程は互いに違うでしょう。


本人が出かければ、それはそれで何処へ行ったのか?
誰と一緒なのか?
単独なのか?
何時に帰宅するのか?


自宅の自分の部屋に籠っていると、何をしているのか?
ご飯はどうするのか?
お風呂はいつ入るのか?
ゲームをしているのか?
電話で誰と話しているのか?
煙草を吸っているのか?
お香を焚いているのか?


とても書ききれないほどの事が気になってしまい、結局は一日中本人を監視している状況が現実ではないでしょうか。


そんな家族の現状を本人がどう感じるか?


常に監視されている。
自分の行動を疑われている。
信じてもらいない。
いつも叱られている。


つまり居心地の悪い状況だとは感じても、家族には何も言えず我慢して暮らすケースもあるでしょうし、怒りをおもいっきりぶつけられて暴力になってしまうこともあるでしょう。


本来は家族と同居はせずに独立して暮らした方が良いケースがほとんどですが、金銭的な問題や、能力の問題からタイミングが合わずに同居しているケースがありますが、互いに大変だと思います。


とは言っても、時には回復の兆しが見られ嬉しいこともあるのも事実です。


日々 一喜一憂しながらも回復を目指すのが理想ですが、勇気を出して現状を変えていくのはいかがでしょうか?


失敗することもあるでしょう。
もっと酷い状況になることもあるでしょう。


しかし、やってみないと見えてこないこともあるかもしれません。


家族でありながら薬物問題を抱える家族としての一喜一憂は疲れるし限界もきてしまいます。


とても難しい問題ですが、家族は自分も変わらないと・・・と思います。

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