一喜一憂

共依存の強い私たち家族は、本人の行動や体調に一喜一憂してしまいます。


本人は薬物依存症という病気であり、私たち家族は共依存症という病気です。
その関係性にある家族が共に回復していくのは大変な道のりでもあります。


同時に良い方向に向かえばベストですが、神様はたとえ家族といえども容赦なく試練を与えてきます。


家族が良かれと思い本人に色々回復の道を提案しても、本人がまだ受け入れる気持ちや身体の準備が整っていなければ家族の願いは残念ながら届きません。


逆に本人が自立しようと思っても、その行動が家族から見ると危なっかしくて不透明で計画性がないと勝手に判断してしまい、結果本人の回復をじっと見守ることが出来なくなります。


家族といえども互いの病気を理解し、受け止めて認め合うには長い年月がかかるでしょう。


治療の一環として病院に入院しても、そこでは薬やアルコールを止めることは出来ます。
しかし薬物依存症という病気が治った訳ではありません。
一時的に病院での生活において薬物やアルコールを摂取することが不可能なので止まっているだけの事です。


薬物依存症という病気は残念ながら完治することはありません。
でも回復することはあります!


本人が入院することによって、身体は健康になってきます。
入院直前に暴れたり暴言はいたりの幻聴幻覚に驚く家族が危機感を感じて入院にたどり着くケースがありますが、入院生活が過ぎていく中で先生やケースワーカーの方から入院前より落ち着きを取り戻してきたと報告を聞くとホッとするものです。
入院によって本人が落ち着いてくることはとても良いことですが、根本的に薬物依存症が治ったことではありません。


入院の前後の本人の様子に一喜一憂して
「もう治ったと思う」
「退院したら自宅に戻って家族と一緒に暮らさせる」
「きっと入院して懲りたと思う」
「家族が手助けをすれば大丈夫」
「元の本人に戻った」


入院前と退院後の本人の様子を見て安堵するのはよくある事ですが、何度も書きますがけして薬物依存症という病気が完治して訳ではありません。


入院後、ここからが大事な時期です。
本人も家族も入院という与えられた時間をお互いに回復する上で有意義に使ってもらいたいです。


本人の意思を無理やりコントロールしてダルクや中間施設に繋げることは難しいですが、私たち家族は自分自身の力で同じ悩みを抱える家族会に繋がり、自分たち家族の状況を聞いてもらったり、他の家族の話を聞いて励ましてもらったり、大いに自分に正直になって心のモヤモヤを晴らすことをしてみませんか?


言うは簡単、するは難しい。
家族の回復にはこれまでの地位や名誉は関係ありません。
本人の薬物依存症は病気!ということを先ずは理解してあげて下さい。
病気ということは何等かの治療が必要です。
仕事がだんだんできなくなったり、言動や言語がおかしくなったり、衛生管理ができなくなったり、昼夜逆転したり・・・


色々なことが病気によってできなくなっていきます。
薬を使う前は出来ていたのにな~ということを家族は言いますが、その時点では出来ていたことは事実です。


でも病気になると残念で悲しくなるくらい出来なくなります。
「どうしてあの子が?」
「俺の子だからきっと良くなる」
「男は若いころは薬を使うことがあるさ」
「そのうち治るさ」
「入院すれば大丈夫」
「逮捕されたから懲りる」


よくある話で、どの家族も通る考えです。


どうか薬物依存症は病気!ということを理解してあげて下さい。


家族の一喜一憂。
本人も一喜一憂です。

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